2008年04月7日発表

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DIEGO久保君のこと

僕が初めて久保君が唄う姿を見たのは今は無き西荻WATTSという、とても汚いが、かなり個人的には世話になったライブハウスだった。当時僕が入れ込んでいたハードコアというプリミティブで、なおかつ反抗的な音楽を、何となく共有していたパンク仲間が主催していたギグであったと思う。そのはち切れん若さの鬱積を、刹那的に描き出すハードコアパンクバンド群が入れ代わり立ち代わりステージに上がる中、妙に不自然な、アンニュイな感じの青年2人組が突如現れ、彼らはエレキギター2本で、カスカスの音の、しかし頗るノスタルジーをかき立てる美しい旋律の弾き語りをして一気にライブハウスの空気を変えてしまったのだった。

僕(オレ)はもの凄く興奮した。もしかしたらその頃から少しハードコアパンクに飽きていたのかもしれない。でもそれだけではなく、彼らのメロディーはあのダーティーなパンクキッズ達の心をいとも簡単に捉えていたし、その癖ステージの2人は飄々としていた。その立ち居振る舞いも、周りの凶暴に吠え立てるパンクス達よりどっしりしていた印象すらあった。

僕は彼らの名前を覚え、その後どうやってファーストコンタクトを図ったのかどうもよく思い出せないのだが、とにかく自分のイベントに彼らを誘ったのだった。その2人組のリーダー(といっていいのかどうかも分からない程その2人は上下関係を超越した印象ではあったが)が久保君だった。自分のイベントに出演してくれた時の彼らの演奏も最高だった。どちらかというと自信過剰な僕がジェラシーを感じた程、他のバンドに限らず自分のバンドにも無論ない圧倒的なオリジナリティーを久保君の音楽は孕んでいた。僕は久保君を注目するようになった。それからも時々一緒にライブをする機会が増えるようになり、僕は赤い疑惑というバンドを始め、彼はDIEGOというバンドを始めるようになった。

赤い疑惑がようやく周りのバンドから認められ、ようやく自分達のスタイルを見出そうとしていたそんな時、急に久保君の赤い疑惑を見る眼、および僕を見る眼が変わった気がした。それは僕も何となく気付いたことだが、実際に久保君にそんなことを直接言われたような気もする。何か、随分雰囲気が変わりましたね〜、とかなんとか。

その後僕は久保君と一緒に遊んだりするようにな仲になり、久保君の大まかな人間性なども縁取ることができるようになった。僕が赤い疑惑で表現することと、久保君がDIEGOで表現することは外見全然イコールではないが、実は内部で一致している部分が幾分あるんだろうな、ということが、彼と話をしていていろいろ分かった気がした。

久保ファミリーのこと

久保君とはそんな風に親しくさせてもらってきた訳だが、それだけではなく僕は久保君のお兄さんとも、更にはお母さんとも親しくさせてもらっているのだ。これは僕の交友関係の中でも珍しい例だ。

久保君のお兄さん、ツトム君、彼もまたバンド仲間で、一緒にライブをやったりするうちに自然と仲良くなった。ツトム君は今も「A Page Of Punk」という痛快なパンクパンドで活動している。久保君にパンクを教え込んだのはツトム君かもしれない。それはともかく普段の彼はベーカリーを運営する逞しい兄貴であり、バンドでも威勢良くリーダーシップを奮う快活明朗な人で、久保君とは性格がかなり違っている。DIEGOそして、実の弟、久保君の大ファンで、ライブ会場ではいつも真ん中で声援を送っているし、最近発売したDIEGOの作品ではプロデュースまでやっていた。かなり熱っぽい。弟である久保君の方もツトム君(要するに兄)のバンドの大ファンであるようだし、単純に、純粋に兄貴を慕っているようなところもある様子だから、この兄弟愛には僕も松田クラッチも随分癒されたりした。

また久保兄弟の真ん中には一人お姉さんがおり、彼女にも僕は二度三度会ったことがある。オリエンタルな不思議な雰囲気を持った人で、彼女もまたDIEGOのファンなのだろう、ライブ会場でノリノリで盛り上がっていたのを見た記憶がある。ここまで公私ともに仲が睦まじい兄弟のあり方は稀有だと思うのは僕だけだろうか。それだけに奇妙に感じもするが、また単に素晴らしいな、羨ましいなとも感ずるのだ。

こんな不思議な久保兄弟を育てあげた母つぎ子さんはこれまた偉大な人物であった。偉大なんて大仰な言葉を使ったらつぎ子さんに怒られてしまいそうだが、何が凄いって、息子達のやかましくてむさ苦しいロックコンサートにちゃっかり応援に来て楽しそうにしてるのだから凄い。大概久保兄弟の企画するイベントには必ずいる。久保兄弟のイベントには老若男女が自然に楽しめる不思議なオーラが出来上がっているが、そこにはいつも母つぎ子の存在がある。4月13日のライブにも恐らくいらっしゃるのだろう。

つぎ子さんは積極的に息子達のバンド活動を応援していて、空気の悪いライブハウスでもケロッとした顔で息子達の熱演を楽しんでいる。父親や母親が息子(娘)のライブを観にライブハウスにやってくるというのは稀に見かけるケースだが、つぎ子さんのように心底楽しそうにしている親は見たことがない。僕がつぎ子さんとお話する機会を持ったのは、つぎ子さんが僕ら赤い疑惑のことを、これまた酔狂にも気に入ってくれたからなのだが、赤い疑惑に関心を持つのもまず稀なこと、その上彼女は自身が主催しているという朗読教室において、集まった主婦の方達に赤い疑惑の詩を読んで聞かせた、という。

つぎ子さんは前作の「東京フリーターブリーダー」を愛聴してくださったそうだ。僕が周りや世の中から感じた「フリーターであることへのプレッシャー」を唄ったその名も「東京フリーターブリーダー」は周りのパンクの人達や、多くの、自己と闘うフリーター達の共感を得て、自分が予想した以上の反響があった。僕はその盛り上がりに対していちいちそれなりに興奮していたけど、それらは父親や親戚の人達にはまず受け入れられることはなく、その点はただ悔しかった。しかし、その世代の人にとってあの作品が受け入れられないのは、当たり前のことなのだろうとも思っていた。そんな中で久保君のお母さんの過剰なリアクションは非常に劇的だった。その上「あなた達は間違ってないわよ」という風に僕を勇気づけてまでくださったのだ。

振り返って考えてみるに、僕がそんな風にフリーターのことを唄ったのは、もしかしたら「自分が社会に少しでも関わっていたかった」からなのかもしれない。それが婉曲的なネジレを伴って表出した結果なのかもしれない。だからそれに呼応してくれたファンの人達を大切に思ったし、何だか充足感もあったけど、それとは別に、離れた世代のつぎ子さんからの一声は、僕の中での「社会との関わり方」の思索を、より一歩前に押し出してくれたような力があった。ライブハウスにつぎ子さんが来た時は進んでコミュニケーションを図ってみて(といっても最初は何を話していいのかも分からなかったが)とにかく話していたら、やはりつぎ子さんは不思議に、僕にとって魅力のある人間だということがはっきりしてきた。

それで先日は、すでに2度目になったが、久保君とつぎ子さんが住まっているお宅にお邪魔したりするようなことがあって大変楽しい時間を過ごしたり、いつの間にかそんな風な間柄になってしまった。その日は結局おいしい夕食と焼酎をごちそうになって帰ったのだが、晩餐の時につぎ子さんに聞きたかった質問をすると、望んでいた以上の、実に面白い話を次から次へと聞かせてくれたので僕は大満足だった。あまりに面白い話を立て続けにするものだから、途中小便に立つタイミングを掴めず、かなり膀胱を膨らませてしまったものだ。

こんな風に

こんな風に不思議な縁がDIEGOの久保君とはあるようなのだが、4月13日の対バンで久保君が赤い疑惑の他に招いた「内藤容成」というのが、これまた僕の大学からの長い友人なのだ。

内藤容成のこと

「好きなバンド:PAVEMENT、BECK」と書かれた新入生紹介カードを見て僕はニヤリとした。それは軽音楽サークルの新入生紹介カードというやつだった。僕は軽音楽サークルには嫌悪感があったので入るつもりはまんざらなかったが、出会いは欲しかった。大学に入ったからには面白い人間を見つけ出さねばならない、とも思っていたかもしれない。

僕は興味があるフリを装い、軽音楽サークルのたまり場へと自ら参じて、上級生どもの大歓迎ムードの中、さながらヘッドハンティングの体で難しい顔をして新入生紹介カードをチェックしていた。(PAVEMENTにBECKか、なかなかいいセンスだな)と思った。当時の僕の嗜好のストライクではなかったが、ミスチルとかジュディマリとか書いている連中が多すぎるのでガックリきていたところだったので特に気になった。
「この人今いますか?」
僕はこのカードを書いた人物がこのたまり場にいるのかどうか諸先輩方に尋ねたのだ。
「いつも来てるけども、今日は来てないみたいだね。そうだね、きっとまた明日来ると思うよ。いつも来てるからね」
との返答が帰ってきた。僕は、そうか、と思った。いつも来ているのか、よっぽど寂しいヤツなんだな、とおせっかいにもまた思って翌日出直すことにした。サークルに入るつもりはないので、その辺は諸先輩方にはうやむやの返事を残して。

翌日食堂のそのたまり場に行ってみると、諸先輩方が昨日推測した通りそのカードを書いた主が来ていた。学食の安っぽいテーブルでつまらなそうに身体を丸めている。背丈ばかりひょろひょろと伸びていてデカいが、痩せているし、髪はぶっきらぼうに伸ばしているし、かなり頼りなさそうな感じだった。しかし、その頼りなさはまさにBECKやPAVEMENTの頼りなさと一致する気がしたので、僕は何となく安心して彼に話しかけたのだった。新潟県出身の田舎者(当時はそんな風に思っていた)だということだが、洋楽ロックの話をしてみたら、予想通りなかなかマニアックな情報を持っていて面白い話がいろいろできた。

僕は内藤容成に、
「こんなサークルにいてもつまらないよ」
と誘いの言葉をかけると彼はどういう具合か従順にも賛同したのだった。そして毎日のように大学でおしゃべりする仲になった。その内に数少ない友人らと数名で僕はインディーズ研究会というきな臭いサークルを始めるのだが、彼はそのサークルの主要メンバーになった。

内藤容成との出会いはそんな感じであった。僕が主催していたインディーズ研究会は、キャンパス内に陽当たりのいいたまり場を作っていてそこをアジトとしていたが、昼休みにもなるとそこにいけば必ず6、7人の常連が何をするともなくダベっていて、内藤容成とはそこでほぼ毎日会っていた。「すげえ変な教授がいてさ〜」といった類いの下らない世間話から始まって、いつのまにか洋服やら音楽やら映画やらサブカルなどの話しになって、それが飽きることなく続く。その上大学からそのまま都心のライブハウスにパンクのライブを観に行ったり、休日などは一緒に、普通に買い物にでかけたりなど、とにかくかなり長い時間を共有していたように思う。

フリーペーパーの取材だと言って彼を連れて三重県に存在するという(自称)縄文人の三四造さんを尋ね、インタビューを敢行するという何の得にもならない旅にでかけたことがある。青春十八切符を使って確か5日間ほど名古屋や三重県を観光しながら回ったのだが、地下通路で野宿したり、今思うと内藤容成には悪いことをしたなあ、とも感じる。当時はバックパッカーへの憧れがあったのか僕は貧乏旅行を試練や経験値のつもりで楽しんでいたが、今考えるとそもそも内藤容成にはそういう趣向はなかったからだ。我ながらよくもまあそんなバカげた旅行をしたもんんだな、と思うと同時に、よくも彼があんな旅行にフラフラついて来たな、まったくお人好しだな、とも思えるのだ。

彼とバンドを一緒に組んでいた時期もある。エアポートフェスティバルというバンド名で彼はギターボーカル。僕はドラムを叩いた。彼はそれまでギターを弾いたことがなかったので、僕が弾き方を教えた気がするが、悔しいことに間もなく彼は僕より器用にギターを弾くようになってしまった。ちなみに僕がギターの弾き方を人に教えたのはそれが最初で最後だ。

エアポートフェスティバルで彼は初めて作詞をして、作曲をした。多分「作ってみなよ」といい加減な調子で僕がススメた気がするのだが、不思議な程スムーズに彼は曲を作ったし、ことにその詩の世界観は抜群に優れていた。周りからの評判もよく、彼はとても満足していたが、僕がメインでやっていた赤い疑惑の活動との併行が難しくなった時、僕はエアポートフェスティバルを脱退することになってしまったのだ。

すでに僕は大学を卒業してフリーターになり、彼は学徒の道を選び大学院生となっていた。折角評判がよかったので、言い出しっぺで無責任感ではあるが、我なき後のエアポートフェスティバル継続を内藤容成に勧めて僕は脱退したカタチだった。しかし新しいメンバーを迎えて再始動したエアポートフェスティバルは約1年ほど後に解散してしまった。

社会で働き出すようになってから大学のサークルの友達と会う機会は急速に減少していったが、内藤容成とは家が近所になったこともあり、ちょくちょく会っていろんな話をしていた。バンドを止めることを彼が決意した時、彼は非常にさっぱりとした清々しい表情をしていた。そして僕と出会ってバンドをやれてよかった、というようなことを言ってくれた。握手をした。僕は互いが年をとって環境が変わってきていることを意識していたし、それは彼も恐らく同だったろうと思う。

それから内藤容成は一途に勉学の道に没入していき、僕は赤い疑惑の本格的な活動に取り組んでいった。彼は赤い疑惑を心から応援してくれていて、よくライブに来ては素直な感想を述べてくれた。赤い疑惑の景気のいいニュースがあると彼も我がことのように喜んでくれるのだった。

また彼は数年前に身体を壊したことがあり、それ以来「こころと身体」について彼と話し合うことが多くなった。彼は自分の病状を見つめ直してうまいこと調子を取り戻すことができたが、その過程で彼は相当人間のしくみについて考えたことだろうと思う。僕も母のガンのことがあって以来「こころと身体」のことを考えることが圧倒的に増えていたので、彼との間ではそういう類の話しを今現在もなお、切りもなく続けている。

今回久しぶりに人前での弾き語りをやることが決まって、いつにない興奮ぶりで、
「(毎年楽しみにしている)花見のことも考えられないくらいライブのことばかり考えちゃってさ」と内藤容成が言った。
「久しぶりにスタジオに入ってギター弾いて練習してみたら全然ダメでさ〜」
といつものように頼りない調子なので「大丈夫だよ。完成度より雰囲気だよ。あまり気合い入れ過ぎだよ」となだめてやった。今年、念願の留学が決まったという。大学院のしくみはよく知らないのだが、留学は以前から彼が目指していたのは知っていたから本当によかったと思う。

そんな訳で

来週4月13日のライブは個人的に非常に楽しみで、またこんな文章を書いてしまった。スタジオライブなので混雑するかもしれないが、老若男女が楽しめる空気がそこには流れているはずである。ページ先頭へ ↑