
2000年 夏
大学卒業を前に、メンバーの社会人化から解散に追い込まれた激エモーショナル軟弱ハードコアバンド「GUTSPOSE(ガッツポウズ)」の、残りの未社会人化メンバーだったアクセル長尾(G&Vo)と松田クラッチ(B)は「これで終わってたまるか!」という想いから、新たなバンド結成の決意を固める。
結成にあたって穴が空いていたドラマーのポストには当時アクセルとの間にホモ疑惑あった斜視、腋臭、スキッ歯の伊達男、島村ディックスが就任。しかしディックスは全くの音楽初心者で、音感、リズム感も悪かった。クラッチは2人の仲のよさに嫉妬を抱く日々。演奏はGUTSPOSE時代からの特別な発展はなく、聴くにたえないモノであった。
バンド名は『天狗(てんぐ)』に決定。バンドのテーマには「自分達のような、愛すべき不器用人間達に贈る讃歌を歌う」ことが掲げられた。 2001年 春
渋谷kinotoにて初ライブ。しかし何と初ライブを前に松田クラッチが「オレはこのライブでバンドをやめる。こんな先行き不安定なバンドにはいられねえ」と啖呵をきる。それを聞いて困ったアクセルはパンクス風に袖口を切った白いボロボロのTシャツの裏に「お前なしではバンドは続けられねえ」というようなメッセージを英語でしたため本番に臨んだ。ライブが佳境に入りアクセルが羽織っていたロッカーズ風のジャージを脱ぐと仕込みのTシャツが登場。それを目の当たりにした松田クラッチは目に涙を浮かべていた。やけくそになったアクセルはギターを破壊(本当はジャンプして着地をミスりギターを床に叩き付けてしまっただけの話)。惨澹たる、天狗の最初で最後のライブは不様に幕をおろした。
実はGUTSPOSE時代も、当時はボーカルだったクラッチは「もうオレは歌うのやめる」といって突然バンドを去ったことがあったが、その時は1〜2週間ですぐに戻って来た。「やっぱ唄が好きだわ〜」と間の抜けた顔で言われたので、メンバーも呆れてモノが言えなかった。
クラッチが去ってアクセルとディックスは途方にくれていた。周りの連中は「これであの2人の仲が余計密接になるな」と、バンドではなくホモ疑惑の心配をしていた。ところが約3ヶ月後のこと、果たしてクラッチは戻って来たのである。「ごめん、もう一回やリ直させてくれ」と語るクラッチの顔はそれまで見たことのない決意の表情が浮かんでいた。アクセルは「やれやれ」な反面またバンド活動が再開できることに胸が膨らんでいた。
2〜3ヶ月に一回ののろいペースで(誘われないだけの話なのだが)ライブを敢行。ライブ自体は、平気で曲が止まったり、曲をやり直したり、やはりひどいものだった。 2002年 夏
たいして反響もなくだらだらバンド活動を続ける「天狗」に大事件勃発。
ゲイ視されていたアクセルとディックスとの間に色騒ぎが起こったのである。アクセルは惚れていた女をディックスにいとも簡単に寝取られてしまったのだ。激怒したアクセルはディックスを即刻クビに。そしてその日から「天狗」は「赤い疑惑」というバンド名に改名。ちなみに、クビになった島村ディックスはその女と沖縄に高飛び。陶芸をやって暮らしている。
2002年 秋ドラマーをクビにしたはいいもののバンド活動が中断され途方にくれていたアクセル、クラッチだが、大学の後輩で、何故かドラムスクールに通っていたハンドドア西村を、無理矢理バンドに加入させる。そして、作り溜めた曲のレコーディングをし、初の音源『赤い疑惑/アカイギワク』が完成する。
GUTSPOSE時代からの友達バンド「ヤングデイズノーリターン」と共に共同企画『中野リーグ』を始める。今を時めくマグロックバンド漁港などともこの頃進行が深まる。
2003年 春やっと軌道に乗り出したかに思われたが、突然ハンドドア西村が「僕は立派な地図を作りたいんです」という謎の言葉を残しバンドを去ってしまう。
またもや途方に暮れるアクセル、クラッチの前に「オレを使えよ」と言わんばかりの顔で2人の前をうろつく奴があらわれる。大学からのつるみ仲間で無色透明、無職肯定のブレーキー沓沢であった。ドラマー探しにうんざりして誰でもイイからという軽いノリで声をかけるアクセルに、初めは「えっ、無理無理無理無理」といって様子をうかがっていたブレーキーだが、すぐに「仕方ないなあ」という調子で彼はスティックをを握っていたのだった。
卓球でも落語でもレゲエでもラジオでも麺の固さでも、のめり込むととことんまで突き詰めるブレーキー沓沢は渋々バンドに加入したと見せかけて実は猛烈にドラムに打ち込んでいた。気付くと演奏面でアクセル、クラッチの尻を叩く程の上達ぶりと厚顔ぶりをみせてくるのだった。
アクセル、仕事中ギックリ腰で椎間板ヘルニアを患う。バンド活動の継続に不安を抱くものの、ごまかしごまかし、ロックオン。
アクセル、クラッチ共に『男はつらいよ』を観て寅次郎の不器用な男ぶりに感銘を受ける。 2003年 夏・秋
ブレーキーの加入によりライブがパワーアップ。少しづつ評判があがる。
松田クラッチがマグロックバンド漁港の森田船長に対し自爆テロ行為!結果絆が深まる。
2作品目となる音源『東京サバンナ』の制作に突入。
2003年 冬東京を生き抜く軟弱な青年の想いをつづった叙情ハードコア組曲、『東京サバンナ』CD-R完成。予想以上の反響を得る。
アクセル、ブレーキーに挑戦状を叩きつけられ、結果2ヶ月間ボイストレーニングに通う。
「WEARE!(ウィーアーエクスクラメーション)」という素晴らしいロックバンドとの共同スタジオライブ企画『ROADRUNNER』を敢行。トリをつとめるも、スタジオの時間切れで2曲目で電源が落とされる。ドラムの音と叫び声だけで名曲「東京サバンナ」を無理矢理終わらせる。その後仲良くなるロックバンド「ドブロク」の面々はこの赤い疑惑の疑惑のライブに相当ショックを受けていた。
ニールヤング&クレイジーホースのドキュメンタリー映画、『イヤーオブザホース』を観て、皆感銘を受ける。彼等の来日公演にもメンバー全員で行く。
アコースティックから、ヒップホップ、ジャムセッションなどバラエティーに富んだメンツを揃え、初の単独企画『夢よ!もう一度!!』を下北沢ERAで行い、大成功をおさめる。 2004年 春
新宿レッドクロスにて行われた「WEARE!」との企画の『ROADRUNNER』第二回も大成功に終わる。
キテレツなライブの登場を頻繁にやるようになる。
ライブの回数が激増! 2004年 夏
無職だったブレーキーが働いたり、やめたり。
初の関西ツアーを前にアクセル、ドライブミスで左足骨折。関西ツアーキャンセル。
ディスクユニオンのコンピレーションCDに一曲参加。











